端午の節句の由来と意味は?子供向けに簡単説明!


「端午の節句」ってなぁに?

とお子さんに聞かれたらどう答えますか。

 

知っているつもりでも
聞かれると答えられない
ことって意外にありますよね。

端午の節句・・・・・
ちょっと自信がありません(汗)

 

そこで、
いつ聞かれてもいいように調べまくりました(^^)

 

子供にもわかりやすい言葉を選んで簡単に説明してます。

では、
一緒に見ていきましょう。

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端午の節句の言葉の意味は?


「タンゴ(端午)」は、
昔から5月5日のことを言うんだよ。

「せっく(節句)」は、
大事なお祭りのことだよ。

 

ちょっと詳しく

「端午」の「端」は「初め」という意味があり、
月の初めの「午(ウシ)の日」を毎月「端午の日」と
呼ばれていました。

「午」を「ゴ」とも読むので「五(ゴ)」と同じ音から
毎月5日が「端午の日」となり、
やがて、奇数の数字が重っておめでたい5月5日が
「端午の日」と限定されました。

「節句」は季節の節目となる日のことで
「節供」とも言われてます。

いつしか、年中行事を意味する言葉となりました。

よく知られる節句として、

人日(じんじつ)→七草の節句 1月7日

上巳(じょうし)→桃の節句・ひな祭り 3月3日

七夕(しちせき)→七夕(たなばた) 7月7日

重陽(ちょうよう)→菊の節句 9月9日

があります。

端午の節句の由来とは?


大むかしの中国で病気やケガをしないように
神様にお願いするお祭り(行事)があったの。

それが、
おさむらい(お侍)さんがいた時代よりもっと前に
日本に伝わったんだよ。

 

ちょっと詳しく

古代中国で、雨が多く病気になりやすい時期に、
薬草のヨモギで人形をつくって軒に飾ったり
菖蒲のお酒を飲んだり、
菖蒲湯に浸って厄払いをしていました。

その風習が、奈良・平安時代に伝わったのです。

奈良時代は聖武天皇、平安時代は平清盛、
と言えばイメージしやすいでしょうか。

奈良時代に「端午」は5月5日に限られたものとなり、
無病息災を願った宮中行事として根付いていきました。

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じゃ、男の子のお祝いになったのはいつ?


お侍さんのいる時代になって、
男の子が生まれたらお祝いするようになったの。

今はすぐに治る病気でもその時は治せなかったから、
「病気にならないで元気で大きくなりますように」って
神様にお願いしたんだよ。

みんなで一緒にお願いしたほうが
神様にはよく聞こえるよね。

それで、5月日の「端午の節句」は、
みんなで男の子のお祝いをしましょう。 って決めたんだよ。

ちょっと詳しく

「端午の節句」は菖蒲酒や菖蒲湯などから
「菖蒲の節句」とも言われてます。

武家中心の鎌倉時代になると、
「武を尊ぶ」という意味の「尚武(しょうぶ)」と
菖蒲(しょうぶ)を重ねて5月5日は
「尚武の節目」として重んじられるようになりました。

江戸時代になると、女の子のひな祭りと並んで、
男の子の誕生を祝う日が武家から一般庶民にも広がり、
武家の家紋を印した幟(のぼり)を庶民は鯉のぼりにみたてて
現代にも受け継がれています。

じゃ、端午の節句は こどもの日だから休みなの?


端午の日も子供の日も
同じ5月5日だけど違うんだよ。

例えばね、
タカちゃん(お子さんのお名前で)の誕生日が
春分の日(お子さんのわかる祝日で)だったらどう?

タカちゃんの誕生日だからお休みじゃなくて、
春分の日の祝日だからお休みだよね。

それと同じだよ。

端午の節句はひな祭りと同じでお休みじゃないの。

でも、
同じ日がこどもの日で祝日だからお休みなんだよ。
 

ちょっと詳しく

「端午の節句とこどもの日!なぜ同じ日?」を
別記事で説明しています。
⇒こちらからです。

※リンク先の記事下「元に戻る」をクリックすると
こちらの場所に戻ります。

 

もっと小さい子に説明するなら、

ここまで、
子供にもわかるように説明してきました。

それでもわからない小さい子には、
こう説明して下さい。


端午の節句というのはね

「男の子が病気にならないで元気でおおきくなるように
神様にお願いする日のことなんだよ。」

付け加えるならば、

「おうちに男の子がいますよ~」って
神様に教えるために鯉のぼりをたてるんだよ。

「この兜(かぶと)と鎧(よろい)で
子供をまもってね~」って
神様にお願いするためにお人形を飾ってるんだよ。

 

参考にしてもらえればうれしいです。

 

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